UIデザイナーとして活躍している山本麻美さん(@linen_beau)に UI デザイナーのお仕事について話を伺いました。UI デザイナーとしてのコミュニケーション術。これから UI デザイナーはどんな存在になるのか意見交換しました。
(automagicpから)
「君がそういう風に感じたのは、Jante Law(ジャンテロウ)があるからだよ。北欧の人、特にデンマーク人はこれを気にしているんだ」。そう言って教えてくれたジャンテロウとは、1933年にデンマークのライターのアクセル・サンダモセ氏が考えたコンセプトです。デンマーク人なら誰もが一つや二つは覚えているそうです。
1. Don’t think that you are special.
(自らを特別であると思うな)
2. Don’t think that you are of the same standing as us.
(私たちと同等の地位であると思うな)
3. Don’t think that you are smarter than us.
(私たちより賢いと思うな)
4. Don’t fancy yourself as being better than us.
(私たちよりも優れていると思い上がるな)
5. Don’t think that you know more than us.
(私たちよりも多くを知っていると思うな)
6. Don’t think that you are more important than us.
(私たちよりも自らを重要であると思うな)
7. Don’t think that you are good at anything.
(何かが得意であると思うな)
8. Don’t laugh at us.
(私たちを笑うな)
9. Don’t think that anyone of us cares about you.
(私たちの誰かがお前を気にかけていると思うな)
10. Don’t think that you can teach us anything.
(私たちに何かを教えることができると思うな)
11. Don’t think that there is something we don’t know about you.
(私たちがお前について知らないことがあると思うな)
UXのきほん、今年も開催しました
週末に、 UXの基礎講義のイベントを開催しました。「ブログを書くまでがワークショップ」ということで、簡単に開催レポートも兼ねて振り返りの記事になります。
2016/4/16(土) UXのきほん-サービスデザインに大事なコトについて -
実は去年 (2015年)も同じ主旨のイベントを開催しましたが、今年も新たに 70 名の方にご参加いただき、懇親会も非常に盛況となりました!東京といえどわりと専門的な知識ゆえ、様々なイベントに参加していると徐々に見知った顔が多くなります。ですが、このイベントでははじめてお会いする方が非常に多かったのが新鮮でした。(みんなどこで知ったんだろう?)
どんな内容?
(浅野先生のブログから写真お借りしました)
講師は浅野智先生。講義内容は 「UX」「サービスデザイン」「HCD/UCD」の関係性などをふまえつつ、かつてユーザビリティが求められた時代から、どう変化してきているのか?企業内のサービスデザインにおいて、新しい価値を生み出すために今求められている視点とは何か?といったことについて語られました。
去年の資料から更に改訂がなされ、直近の事例も盛りだくさんです。たしか私が初めてこのUX概論を聞いたのが5年前?くらいだったかと思いますが、その頃よりもサービスデザイン(持続的な企業におけるUXデザインの活動)のために必要なマインドセットの話が多くなっている印象。
講義の後に、ミニワークショップで今日学んだことの本質とは何かを実際に体感してもらいました。
当日の講義をグラレコでまとめました
イベント告知後「やりたいです」とのお申し出をいただき、グラフィックレコーディングは、静岡から常葉大学学生の広沢さん、小野寺さん、水沢さん3名がお越し下さり実施してくれました。
そして完成品がこちら。
(補足 もしかするとブログを読んでいる人にはこれだけ見ても講義内容がわかりにくいかもしれませんが、今回のグラフィックレコーディングは共有のための議事録ではなくて、その場にいる参加者の議論や意思疎通を活発にするために用いられたものになります。)
当日は、懇親会でも多くの参加者からグラレコに関する活発な質問がなされていました。短時間で要点を読み取り、伝わりやすい形で図に落とし込んでいく姿を見ていると、会場内で彼女たちがもっともその瞬間成長しているのではと思います。
なぜこのイベントをしようと思ったの?
端的に言うと「UXデザインに興味を持っている誰かが、今いる場所から一歩をふみだすためのきっかけづくりになれば」との想いで、新年度の4月に開催しています。もっと良さげな言い方をするならば「私にUXを教えてくれた人々への恩返し」的な意味合いが強いです。
元々、私が HCD (人間中心設計)を学ぶきっかけになったのは、 5年前のUX KYOTOでこの講義を聞いたのがきっかけでした。(その頃は関西に住んでいた)
いま東京では、毎週のように多種多様な魅力的なワークショップや各社の事例発表会が企画されています。でも、意外と概念や基礎知識を学べる場所って少ないんですよね。もちろんHCDのサービスデザイン演習や産技大などきっちり勉強する場所はあります。でも個人でちょっと興味を持った段階で投資するには、そこそこに高額。なのでその手前というか、まずは5000円で知りたいことの入り口に立ち、似たような境遇の人たちとディスカッションする機会ってのはすごく重要だと思うのです。
ちなみに去年参加してくださった方の中には、今年人間中心設計の資格を取得された方や新サービスを立ち上げられた方もいます。今年参加してくださった方も、これが何か心境/環境の変化を与えられるきっかけとなっていたら幸いです。
さいごに
毎年講義の内容をアップデートし続けて2時間では説明できなくなってきた浅野先生、快く運営に参加してくれた有志スタッフの皆さん(こういうメンバーがあっという間に集まるのが、所属会社のよいところだと思ってます)、グラフィックレコーディングの常葉大学の皆さん、ありがとうございました!
ちなみに、もっと体系的に学びたい方にはこんな基礎講座が2016年5月から始まるそうですよ。
2016/05/11 (水) -9/21(水)
他の参加者のブログはこちら
「自分でやった方が早い病」とは
■病状
・「自分でやった方が早い」という考えに陥る
■2つの発症パターン
・まわりよりも自分ができてしまうから
・相手に悪いし、お願いが下手だから
■かかる人
・仕事ができ優しい、30代の新人リーダーに多い
■病の原因
・「人のため」と言いながら自分の利益しか考えていない
・まわりの人と一緒に成長しようとしない
・基本的な教育ができていない
・エースピッチャーの快感に浸りマネージャーの喜びを知らない
・自分大好き人間
病状が悪化すると
・「孤独な成功者」になる
・仕事を抱え込み、病気も抱え込む
・つねに「誰かのせい」にして生きることになる
・笑顔と余裕が消える
・いつまでたっても優秀な人が現れない
・誰も信頼できなくなる 誰にも信頼されなくなる
・仕事が途切れると、年賀状も来なくなる
克服できると
・1人の100歩ではなく、100人の1歩で進むことができる
・まわりができる人だらけになり、大きな仕事ができるようになる
・友達もお金も増える! 昇進、昇給もできる!
・より大きな幸せを感じることができる
・「自分がほめられるための仕事」ではなく本当の仕事ができる
処方箋
■「任せる」とは「失敗させる権利を与えること」
・失敗の経験を積ませるのが上司の仕事
・失敗は短期的な成果、効率を見た場合の評価
・育てる、任せるから見た失敗は、成長
■まわりの人をヒーローにする
・損な役回りを引き受けてみる
・目先の損を取って、長期的な得を得る
■「任せる」は「仕事をふる」ことではない、と理解する
・仕事は責任とセットで任せる
・責任も与えれば、ふられたほうも俄然やる気になる
■自分のコピーをを作ろうとしてはいけない
・自分がトッププレイヤーだから、つい自分のやり方が正しいと思いがち
・部下に仕事を任せた以上、部下のやり方に口出しはいけない
■計画と検証は一緒にやり、実行は一人でやってもらう
・リーダーの仕事は、P(計画)、C(検証)、A(改善・仕組み化)を全力を注ぐ
・D(実行)の部分は部下に任せる
■あえて70点のマニュアルを作る
・残り30点は部下が自分で考える部分
・独自性を発揮できるように余白を用意しないと、マニュアル人間になってしまう
彼女は言った。「このページはごちゃごちゃしすぎ。すべてのフォントスタイル、すべてのフォントサイズをチェックしなきゃだめ。そして、異なった色やフォントサイズを見つけるたびに、一点ずつ加算していくの。ぜんぶで五点以内にして」
この「五点以内」という言葉がノートに書きとめられ、ルールになった。そして、五点を超えるページがいつしかなくなっていた。
1823年 日本にフランツ・フォン・シーボルトという27歳のドイツ人が長崎・出島のオランダ商館つきの医官としてやってきました
そこでシーボルトは丸山の遊女である16歳の其扇(そのぎ・本名は楠本滝)にヒトメボレ
かなり真剣にスキだったらしく「オタクサ」(お滝さん)と呼び、めっちゃ惚れまくりました
そして1827年5月6日に女児が生まれたのです
この女児が「いね」であります
さてさて、そんなシーボルトですが、どでかい事件を起こしてしまいます
シーボルトは長崎で「鳴滝塾」を開いており、高野長英などの優秀な弟子を持っておりました
弟子の一人である江戸の高橋作左衛門が日本地図や江戸城の見取り図をシーボルトにプレゼント
シーボルトはその見取り図を国外に送ろうとし、幕府にバレてしまったのです
当時日本はそーいったスパイ行為にめっちゃうるさかたので、シーボルトは日本を追放されてしまったのです
これが有名なシーボルト事件であります
この時、イネは2歳8ヶ月でした
さてさて、残された母親の滝とイネですが、イネはハーフだったのでとっても美形
が、当時の日本はそーいった「あいのこ」を差別する国でした
ぱっちりとした二重まぶたに色白で彫が深いイネ
父親は「ガイジン」で母親は「遊女」
こうしてイネは周囲の人々にさげすまれながら生きてきたのです
が、「私の父親はすごい医者なんだから!」と、誇りだけは忘れずにおりました
イネは12歳頃から学問を志し、19歳になると宇和島にいた父親の弟子である二宮敬作に師事することに
が、二宮はイネが女性なので産科を勉強したらいいんじゃないか??と考え、岡山にいる石井宗謙を紹介しました
イネは石井のもとへ行き、西洋医学を一生懸命学びました
そしてとっても美しく賢い女性医師へと成長していったのです
石井のもとへ行ってから6年目に事件はおきました
母の滝が岡山にいるイネに会いにやってきました
帰る日、イネは師である石井とともに母をハシケ(大きな船へ貨物や人間を運ぶ小さな船のこと)で大型船まで送りました
母を見送り、ハシケで陸に戻る時、なんとイネは石井に無理やり犯されてしまったのです
そしてさらに・・・イネはたった一度の性交渉で妊娠してしまったのです
女医なので人工流産のやり方を知っていたイネでしたが、イネは産むことを選びました
その後、イネは一度も石井を受け付けず、長崎へ戻り産科を開業しました
日本で初めての女性開業医となったのです
ここで村田蔵六(大村益次郎)と出会い、愛し合うようになります
が、大村益次郎は戊辰戦争で活躍した後、暗殺されてしまいます
最後を看取ったのはイネであります
さてさて、1859年に父親のシーボルトは再び幕府の外来顧問として日本へやってきました
30年ぶりの再開でしたが、滝とイネの中でシーボルトへの愛情は消え去っており、ドラマチックな再開はまるでなかったようです
が、有名な医師である父親の存在は、医師としてやっていくイネには大きなプラスとなりました
松本良順などの師であるポンペ・メーデルフォールトというオランダ人医師が、全国から集まった秀才医師とともに解剖実権をすることに
ここでイネは「女でありながら」選ばれたのです
当時、女性がこーいった場に出られることは、すごいコトだったのであります
明治3年になると、イネは上京し築地で産科を開きました
そこで宮内省御用掛を任じられ、皇族の出産を取り扱うまでになったのです
明治36年8月26日 76歳でイネは死去しました
女性が「学問」を学ぶということがほとんどなかった時代に、イネは逆境に負けず新しい道を自ら切り拓いたのでした







